いわゆる罪悪感本というやつを読んだので感想。
罪悪感を癒すのは愛、というところが
どうしてそうなるん?と、腑に落ちないなー、ってのが
最後に残った感想なんだけど。
どうして?
つまり、
罪悪感というのは、
そもそも、欧米的、西洋的概念で
日本人にはあまり馴染まないと言われる。
というのは元々、
罪悪感というのは、
神に背いた罪=原罪という
聖書の概念に見られる西洋的価値観だからね。
日本とか東洋ではあまり。
一神教ではないし。
信仰の自由というか。
こっちの神様がだめならこっちの神様でいいじゃない、
みたいな。マリーアントワネット的贅沢信仰というか。
なんたって八百万の神様がいらっしゃるもんで。
中にはひどい神様怖い神様も多いもので。
慣れっこみたいな?そこまではわからないけど。
とにかく、
なぜ神に背くのが罪になるのかといえば、
神様が一人しきない、
絶対的権力を持っているから、ということでもあるし。
実は、そもそも神がいるから罪の意識を植え付けられる、という
本末転倒なおかしな概念でもありますよね。
つまり。
神って、
そんなにも無慈悲で、
恐ろしく、
狭量な存在なのでしょうか。
という。
罪悪感、という
神に背いた申し訳なさを人が恥じることにより
実は、神と言うのは恐ろしい、狭量で厳しい存在であるという地位に
貶めているということでもある。
それが問題になるのは。
東洋ではそもそも、
神が怖いのは当たり前で。
東洋の自然は基本厳しいので。
ユダヤ中東の厳しい地で生みだされた神は
厳しくて当たり前で
でも本当のところは
それ、嘘だよ、違うよ、
神様ってそんな恐ろしくねーよ、
神は全部許してくれてんだよ、ってのを
身体を張って示してくれたのがキリストって人なのに
なぜか今も西洋社会には
原罪、罪悪感、という感情が
消えることもなく残っているという不思議。
つまり、西洋的な考え
個人ということを考えた時に
何かの申し訳なさを感じることは
全部、罪の意識になり
それって徳に背いた、
良心に背いた、7ということですよね。
東洋でいえば、
恥の概念、tおいうのは、
集団の利益に背いた、
集団に不利益をもたらすことが
恥の意識になるといいますが
罪悪感というものも
結局は全体の秩序というものにぞ向いた、というような
そういう感覚だろうとは思います。
ただ、
個人を尊重してくれる西洋的考えでいえば
それすら許されているんですけどね。
だから、
愛
になる。
罪悪感を癒すのは。
厳しい神によって罪の意識を植え付けられるわけなんだけど、
本当は
本当の神ってやつは
慈悲深く、
全てを包み込んでくれるんだよーっていう
あなたは本当の神を知っていますか?という
問いかけのようでもあるけど。
良心を背いて申し訳ないと感じても、
その奥にある本当の良心というものは
もっと深く、奥深く、
人の手の届かないレベルぐらいに深く
そういう愛というものが
確かに人の中には存在しているんだよーってことを
真に思い出せたなら
真に信じられたなら
罪悪感を感じる必要はない、って
それは二千年前に体を張って教えてくれたことじゃあない?って
すごく思うんだけど。
つまり、
人間ってのは
ほとんど進化してない。
というのは語弊があるけど、
つまり、どんな時代も
だいたい同じことで悩んでいるということよ。
だって人間だもの。
基本的な構造というものは
ほとんど変わらないということよ。
だから、大昔から使われる占星術なんてのも
いまだに適応されたりする。
人間って変わってねえのね。
ってことです。

