なぜフラワーエッセンスを使うのか

フラワーエッセンス

世の中にヒーリングツールは数あれど、なぜフラワーエッセンスを選んだのか、書いてみたいと思います。(以下FE)

何も出来なかった時に使い方が楽だった

なんといっても、私がいちばん長続きした理由は、「飲むだけ」この楽さだと思います。

私がFEに出会った時は、鬱病の真っ只中でした。
いちばん症状が重い時だったので、本当に何も出来なかったのです。
鬱になった方は分かるかと思いますが、ベッドから体を起こすことすら苦痛で、食事や入浴すらままならない、そんな状態でした。
なので、色々と使い方が細かい他のヒーリングツールやイメージワークということは全く出来ませんでした。

その点、FEは舌下に垂らすだけ、という一つの動作だけで済みます。これがどれだけ有難かったか、というのは、健康な時に出会っていたら分からなかったかもしれません。

まぁそれ以前に選ぶハードルやTMBを作る手間というのはあるのですが、いちばん最初は近くにプラクティショナーの方がいたのでお任せで選んでもらい、希釈せずにそのまま使うという使い方をしていました。

お風呂に入った時に頭にイメージが浮かんだ

最初の一本を選んでもらったのは確かクラブアップルか、チェリープラムだったかと思うのですが、プラクティショナーの方がお風呂に入れてもいいのよー、と言っていたのを思い出し(本当は外用的な使用法はアウトであります、あくまで自己責任ということで…)、お風呂に入れて入浴してみました。

その時に、なぜかふわっと、頭の中に自分の姿が浮かびました。
それが不思議なのですが、スーツ姿で仕事用のカバンを持って、なぜか笑顔でお花屋さんとお仕事をしているような、そんな姿でした。

そのイメージが頭に浮かんだ時、本当に驚いたのです。
前述したようにその時は鬱真っ只中で、しかもその数ヶ月前まで学生でして、就職活動が出来ず本当に惨めで悔しい思いがずっとあって、自分が働くイメージなんて絶対に頭の中に描けない時だったんです。
そんなことを考えたら発作的に命を断ちたくなるぐらい、誰にも触れられたくない、いちばん辛いポイントでした。
そしてその時は恐怖感がとても強くなっていて、外出もままならない時でした。
家族の後ろに隠れながら、帽子で顔を隠して自分を誰にも見られないようにというぐらいでなければ外出できないような状態でした。

そんな今の状態と、真逆な自分の姿が頭に浮かんで、なぜか分からないけれどぼろぼろと泣いてしまいました。
これは自分の頭がイメージしたものじゃない、そう思ったからです。
分からないけれど、フラワーエッセンスというものが見せてくれた希望のようなもの、自分も今はこんな状態だけど、いつかこんな風に元気になれるんだよ、というイメージを見せてくれたように思い、確かにこのものには不思議な癒しの力があるようだ、と確信したというところがあります。

花のエネルギーというもの

それから十年以上エッセンスを使い続けているわけですが、一つ、絶対的に信用しているポイントが、「花のエネルギー」というところです。

FEを使っていくと自然とスピリチュアルな世界へ、そういう感覚へ開かれていく気がしますが(もちろんそうでない人もいると思います)、エネルギーの世界、ヒーリングの世界というものはやはり多種多様な世界です。
エネルギーというものも捉え方も人それぞれ、形のあるものからないものまで、色々ありますが、
色々と知っていくと形のないようなもの、純粋なエネルギーそのもの、◯◯存在のエネルギー、ヒーリング、というような、そういうものの方が、いわゆる「波動が高い」というものなのかな、と思った時期が私にもありました。

ですが、そういうエネルギーの素晴らしさというのももちろんあるのですが、そういったものには私は必ず恐怖を感じる性格でした。
目に見えないエネルギーというものは、目に見えないだけに、実のところ誰にも真実は分かりません。
ある意味「信じる」ということしか拠り所のない、真実とても不確かなものです。

一度疑いの心に捕らわれてしまえば、恐怖の対象にもなってしまうようなものであったりします。(私だけかもしれませんが)

そういった不確かな世界にあって、植物、花という、確かに目に見える形のあるもののエネルギー、という立ち位置がはっきりしたエネルギーというものが、とても信頼できるものに思える気がするのです。

植物はブレない

そしてまた、植物という存在そのものが、地球上では完璧な生き物と言われたりもします。
完璧かどうかは分からないのですが、植物には感情というものがないそうです。
感情がないということは、例えば根を引っこ抜かれたりしても、痛みなども感じないということです。(たぶん)
痛みを感じないということは、抜かれたことに対する怒りや悲しみなども感じないということです。

それはつまり、外側の事象によって揺れ動くことがないということ。
それは常に、ただ「あるがまま」の姿で、そこにあるということ。

太陽の光を浴び、地に根を張り、雨の水分を吸収して、ただ生きている。
花を咲かせ、実が熟したら大地に落とし、そして枯れて行く。
ただそのサイクルを繰り返すだけの、その自然でたおやかな姿に、自然界の完璧さを感じるというのも理解できる話です。

人間というのは、感情があり、感じる心があり、必ずブレます。どんな人間でも必ず。
高次の存在というものはブレないのかもしれませんが、そのエネルギーを降ろす人間には必ずブレがあります。
そういう意味で、常に完璧なエネルギーを降ろすというのは人間にはなかなか難しいと思っているところもあるので。

植物の常に完璧な在り方、そういうものにとても安心感を感じる、というのが、私のFEを使用する際の考え方、思いでもあります。

FEは人生を共に歩く友人のようなもの

フラワーエッセンスとは私にとって何なのか、といえば、私は、人生を共に歩んでくれる友人のようなものだと思っています。
確かにヒーリングツールとして使ってはいるのですが、癒しというものは、実は、外からもたらされるものではないと思います。

精神科にかかったり、カウンセリングを受けたり、セラピーやヒーリングを受けたりと、色々な人や物に助けてもらってここまで来ました。
ですが、これらの援助者や援助のツールに、全面的に頼り切って依存してしまうと、その結果はとても明るいものではなくなる、と言うことは、身を持って経験してきています。

医師やカウンセラーや、援助者と肩書きを持っている方たち、そういった方たちは、寄り添ってくれます。支えになってくれます。
ですが、どれだけその肩を貸してもらえるとしても、この手を取って導いてくれるとしても、歩いていくのはあくまで、自分の足、自分で足を動かし、先へ歩んでいこうという意志だけです。

これらを忘れた時、癒しというものはもたらされません。

頼り切って、自分の全てを委ねてしまって、代わりに自分を動かしてくれるものというのは存在しないのです。

時にその事実は辛く、挫けそうになりますが、

そういう時に、頼り切ることなく、それでも寄り添い、励ましてくれる存在というものがあるとしたら、それは、友人という間柄ではないかと、私はそんな風に思いました。

援助者、ではなく、治療者、でもなく。

友人とはその意志で、そこにいてくれるだけです。

でも、頼めばきっとほんの少しは、力を貸してくれるでしょう。

だけど依存してしまえばきっと逃げていくでしょう。

適度な距離を持って、そしてお互いに尊敬と、そして好意を持って成立している間柄。

私は、フラワーエッセンスとはそういう関係性でありたいなと、願っているところがあります。

花のエネルギーというのは、花がただそこに「ある」だけのエネルギー。
それに惹かれ、魅せられ、触発され、元気をもらう。

例えば、大好きな友人がただ笑っている姿を見ると元気になる、そんな感じで。

とはいえ、友人だとしたら、頼り切りかもしれませんが。笑

ちょっと一緒に遊んでくれない?と、声をかけたら、いつもそこにいてくれる、頼もしい仲間。

そんな感じで、ただそこにいてほしい、そんな気持ちです。

というわけで、私がなぜフラワーエッセンスを長く使い続けているのか、書いてみました。

読んで頂きありがとうございます。

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